歴史・勉強

11月12日の「洋服記念日」について考える

投稿日:平成27年(2015) 11月14日 

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2日遅れですが、11月12日の「洋服記念日」について扱います。

昭和4年にテーラーの組合である東京洋服商工業組合(現・東京都洋服商工協同組合)が、西洋式の礼服を定めた太政官布告が出された11月12日を「洋服記念日」に定めました(参考:同組合のページ)。また昭和47年、全日本洋服協同組合連合会もこの日を洋服記念日にしました。

そんな洋服記念日ですが、テーラーにとってどのくらいの意味がある日なのか、当時なぜ礼服を洋式に改める必要があったのか、現代のサラリーマンのファッションにどの様な影響を与えたのかなどを考えてみたいと思います。

今回は歴史好きの方以外には退屈な話かも知れませんが、よろしかったらご覧下さい^^;

 

1.礼服が洋服になった日

明治維新以前の日本では、きものが礼服でした。時代劇に出てくる裃(かみしも)姿の侍もそうですが、現代でも神社の神職の服装に、その名残を見ることが出来ます。

明治維新後、国の制度を洋式に変えていく中、その一環として西洋式の服装が求められる様になりました。平民出身の役人が公家や武家の格好をして式典に参加するのは、とてもちぐはぐに見えたはずで、実用面でも必要だったのでしょう。

幕末や明治維新直後から、洋学に取り組む人や政府関係者を中心に、西洋にならってフロックコートや燕尾服などを着用することが散見されます。しかし、吊しの洋服も無いころで、また仕立屋の絶対数も少なかったため、しばらくはなかなか普及が進まなかったようです。

そこで、明治5年の11月12日に、「大礼服及通常礼服を定め衣冠を祭服と為す等の件」(明治5年太政官布告第339号)で洋式の礼服を定め、統一がはかられました。

 

2.法律として定められた西洋式の礼服

具体的に太政官布告とはどの様な物であったのかを見てみたい思います

大礼服及通常礼服を定め衣冠を祭服と為す等の件
※ 現代語訳が下にあります

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大礼服及通常礼服を定め衣冠を祭服と為す等の件(明治5年太政官布告第339号)

今般(こんぱん)勅奏判官員(ちょくそうはんかんいん)及(および)非役有位(ひえきゆうい)大礼服並(ならびに)上下(かみしも)一般通常の礼服別冊服章図式の通(とおり)被相定(あいさだむべく)従前の衣冠を以(もっ)て祭服と為し直垂(ひたたれ)狩衣(かりごろも)上下等は総て廃止仰出(おおせいだされ)候事(そうろうこと)
但(ただし)新製の礼服所持無(なき)の内は礼服着用の節当分是迄の通(とおり)直垂上下相用不苦(にがしからず)候事

内閣官報局(1887)『法令全書 明治5年』内閣官報局
当サイトで正字・正仮名を通行体・現代かなに改め、適宜句読点をうち、括弧内に読み仮名を振った

なんとなく内容は分かると思いますが、150年位前の文章ですから意味が伝わりづらいですよね……。そこで、勝手に現代語訳をしてみました。

【現代語訳】大礼服及通常礼服を定め衣冠を祭服と為す等の件

このだび、公務員と爵位がある方向けに、特別行事や公式行事で着用する服装について別紙のとおり定めました。いままで礼服だった衣冠はお祭りなどのイベント用として残しますが、それ以外は廃止します。
ただし、新しい洋式の礼服が仕立て上がるまでは、これまでの礼服を着ても良いですよ。

最後の「ただし」以降に、当時の状況を垣間見ることが出来ます。

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布告の別表を見ると、高等官(今で言うキャリア官僚)ではない判任官(ノンキャリ)にも服装が定められていますから、相当数の公務員が本布告の該当者となっていたはずです。従って、日本中の、特に国家公務員が集中する江戸・東京中の洋服屋がパンク状態になったことは想像に難くありません。

この布告があったからこそ、東京のテーラーは多数誕生し、その数を維持できたのだと思います。洋服記念日になった理由がよく分かります。

またこの布告が切っ掛けとなって今の日本のスーツ文化ができあがった一方、スーツ=制服という概念が生まれてしまったのも、ここに遠因があるのかも知れません。

 

3.西洋式に改めた理由とは

つづいて、そもそもなぜ西洋式に改める必要があったのかを考えてみます。

西洋の猿まね?

これまでよく言われてきたことは、文明開化、近代化(=西洋化)を進め、列強と同格に扱って貰うために、まずは形から入った、と言う説です。

たしかに、新しい技術や文化を採り入れる際には、まず形から入ることは有効な手段であったろうと思いますし、事実そのような側面もあったと思います。

しかし、貴族や国家公務員すべての礼服を、さらに国家元首である天皇にいたるまで、これまでの伝統を捨て、一気に洋服に切り替えたのは本当に形から入るためだったのでしょうか。江戸時代を通じて、文化や学問、官僚組織は西洋と見劣りしないレベルまで高度に発達しましたが、本当に彼らはそれだけのためにこの選択をしたのでしょうか。

私は、理由はそれだけでは無かったと思っています。真相を探るため、この太政官布告が出された理由を考えてみましょう。

 

4.伝統的な日本の礼服は「軟弱」?

服制を改むるの勅諭
※ 現代語訳が下にあります

太政官布告第339号が出される1年前、天皇陛下のお言葉として、「服制ヲ改ムルノ勅諭」が出されており、その中に礼服や制服を改める理由が記載されて居ます。

服制を改むるの勅諭(明治4年9月4日)

朕(ちん)惟(おも)うに風俗なる者、移換(いかん)以(も)って時の宜(よろ)しきに随(したが)い、国体なる者、不抜(ふばつ)以って其勢(そのいきおい)を制す。今衣冠(いかん)の制、中古唐制(とうせい)に模倣せしより、流れて軟弱の風(ふう)をなす。朕太(はなは)だ之(これ)を慨(がい)す。

夫(そ)れ神州(しんしゅう)、武を以て治(ち)するや固(もと)より久し。天子親(みずか)ら之が元帥と為り、衆庶以て其風(ふう)を仰ぐ。神武創業、神功(じんぐう)征韓の如き、決して今日の風姿(ふうし)にあらず。豈(あに)一日も軟弱以て天下に示すべけんや。朕今、断然其服制を更(あらた)め、其風俗を一新し、祖宗(そそう)以来、尚武(しょうぶ)の国体を立てんと欲す。汝近臣(なんじきんしん)それ朕が意を体(たい)せよ。

高須芳次郎(1934)『大日本詔勅謹解(2)道徳教育篇』龍吟社より引用
当サイトで正字・正仮名を通行体・現代かなに改め、適宜句読点をうち、括弧内に読み仮名を振った

詔勅を勝手に訳すのは恐れ多いのですが、同じように現代語訳をしてみました。

【現代語訳】服制を改むるの勅諭

衣服の制度を改正する天皇のお言葉(明治4年9月4日)

ファッションは時代と共に変化するものです。一方、日本の国のかたちは不変なので、ファッションに対して一定のアドバイジングを行うべきだと私は考えます。これまで礼服や制服は、かなり昔に唐の国のものを真似て以来、あまり男らしくない軟弱な格好でした。私は、これをとても不満に思っていました。

日本は昔から武力で国の安全を守ってきました。天皇自らがトップに立ち、国民も一緒になって励みました。日本を統一した初代神武天皇や、朝鮮半島の征服に成功した神功皇后の時代は、決して今の様なゆるいファッションではなかったはずです。昨今、欧米列強が次々とアジアを植民地にしている様な時代に、今の軟弱な格好で生き残れるのでしょうか。
私は礼服や制服を変更して日本のファッションを一新し、ご先祖様以来の武道を大切にする国にしていきたいと考えています。公務員の皆さんは私の思いを知って、実行に移して下さいね。

如何でしょうか。要は、これまでの礼服は軟弱で、欧米列強とやり合って行くためには不向きだから、礼服や制服を改めましょう、と言う事のようです。

王政復古でもかつての軟弱な朝廷にはしたくない?

武人・サムライの国なので軟弱とは? と思われるかも知れませんが、王政復古で国の制度が朝廷の仕組みに一時的に上書きされている状況ですから、雅(みやび)な様式で溢れかえってしまう恐れがあったのだと思います。

武家が誕生して以来、宮廷や公家からは荒々しい武事の要素は疎外されていました。そんな雰囲気が蔓延する恐れのある様式では富国強兵には不向です。また、下関戦争を経験した長州閥や薩英戦争を経験した薩摩閥(いずれも政府の実権を握っていました)が、そのようなことを許すはずがありません
(事実、李氏朝鮮崩壊の原因の一つに、弓以外の武を疎む宮廷の慣習があったという見方もあります。)

 

5.おわりに

じつは、2月9日も「服の日」として、日本ファッション教育振興協会及び全国服飾学校協会などが「ふ(2)く(9)」の語呂合せから定めたそうです。(平成3年のこと、とのこと

2月9日は覚えやすいですが、千年以上の伝統をもつ礼服をかなりの覚悟で廃し、西洋式に改め、日本中のテーラーが誕生する切っ掛けになった11月12日とはその重みが違う様に感じます。

11月12日の布告が無ければ、毎日裃や紋付き袴で通勤していたかも知れませんし、それ以前に欧米列強の植民地になっていたかも知れません――て、そんなことないか(^^;。 少なくとも、テーラーリングの技術には影響が出ているのではないかと思います。

みなさんは洋服記念日、どの様に考えますか?

 

※ おことわり:筆者は国文の勉強や訓練を受けたわけでは無いため、現代語訳や解釈にはあまり自信がありません。もし間違っていたらご指摘下さい……。

本稿に利用した画像は、内閣官報局(1887)『法令全書 明治5年』内閣官報局刊(国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」に収録)から引用しました

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